一般社団法人 入間青年会議所 〒358-0021埼玉県入間市高倉4-4-3 
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卒業年度にあたり・・・ 1999年1月1日
メンバーの皆さんこんにちは!居残り直前理事長兼卒業生の河村です。紙面をお借りして改めて皆様の昨年度へのご支援に感謝申し上げます。1999年度歴史ある かみひこうき第一号 卒業生シリーズの栄えあるトップバッターを実森委員長よりご指名を頂きました。張り切って参りたいと思います。私は、1990年度14代大久保秀男先輩が理事長を務められた年に入会させていただきました。北園副理事長と私はその年のたった2人の新入会員同期生でもあります。ですから理事会以外は二人はとっても仲良しです。
初めて例会にオブザーバーで誘っていただいたのは、鍵山の呉服店のU先輩でした。例会で印象的だったのは、内容はあまり覚えていませんが、理事長の挨拶が素晴らしいものに感じられた事と入間市内にたくさんの若い経営者や二世の方たちが頑張っているのだなと感じた事でありました。面識のある方はほんの2〜3人で不安ばかりが先走っていたのを覚えています。例会以後の懇親会で私を連れてきてくれたU先輩は、当時ある種の博打が流行しており「悪いけれども誰かに送ってもらってくれ。」と言い残し夜のまちに消えて行きました。ほとんどがわからない人ばかりでしたので焦りと怒りが同時にきたような気持ちになりました。しかし人の流れに身を任せるようにしてその後誰にどのように面倒を見ていただいたのか詳しく覚えておりませんが、三次会くらいまでお付き合いをさせていただきベロベロ状態で帰宅をしたようです。
私は比較的出席率が良かった為か入会後程なくして理事や委員長も拝命していただけるようになりました。その頃の私は、営業や配達、工場内の仕事などの現場中心の仕事であった為にJCと仕事の両立がかなり負担となってのしかかってきました。従業員にもなるべくJCの話をして協力をしてもらい根気と勇気と努力が要る事ですが、従業員を信じそして仕事を少しずつ任せるようにしました。その頃であったから出来たのかもしれませんが厳しい時代であるからなおさらのこと家庭や会社あってのJC活動であると思います。常に仕事とJCの相乗効果も考えて会社やまちの活性を図っていただきたいと思います。齊藤丸の輝かしい一年間の航海を祈念し最後にメンバーの皆様にJC活動における得意の4つのお願いをプレゼントさせていただき終わりといたします。
沢山恥をかいて下さい。見栄を張らないでください。最後まで責任を持ってやり遂げて下さい。卒業生を大切にし、たまには誘って下さい。
剛柔日記 1999年1月1日
1999年1月1日 午前0時の時報とともに何とも云えない緊張感が,体をかけめぐる。
テレビでは、除夜の鐘打ち鳴らされていたが、私の耳にはゴングが打ち鳴らされた様に感じた。朝5:40分 専務 事務局長がそろつて迎えに来てくれ、一年の初仕事桜山展望台での初日の出を見る会に出席した。私は、ここ数年元旦の朝はここで迎えるようにしているが、例年になくきれいな初日が東の空から上がつてきた、すばらし初日であり何か私達入間Jcの応援してくれているようであつた。
 1月5日(火)入間市賀詞交換会に出席する。木下市長木下様の年頭挨拶にまず、10年を大切に未来を見つめ足元をかためよ,世紀の変わり目、ミニマムの1000年の区切りを迎えるにあたり足元をかためる必要があり、この20世紀を振り返る時、破壊と人類の進歩の世紀とするならば21世紀は修復の世紀といただきました。我々青年会議所メンバーもぜひもう一度足元を見直して頂きたいと思います。
 先日、オブザーバーで,東京JCの賀詞交換会に出席する機会があり、初代理事長 三輪善雄先輩のお話が有りました。1949年、今から50年前東京JCを設立し、現在80歳をすぎ益々お元気で、スピーチの中に、「JCは、偉いぶつてわいけない、アメリカのJCは、海軍、陸軍のエリートが入つた、日本のJCは第二次世界大戦後、日本の将来を、これからどうしようという時に、出来た、JCは偉ぶらないで地道な活動が大切である。」これがまさにJCの創始の原点ではないかと感じました。
 さて、1月第1例会賀詞交換会におきまして、齊藤 勲委員長引きいる、指導力経営開発委員会の皆様そして、多くのメンバーの皆様のご協力の元無事例会を終了することが出来誠に有難うございました。寒い中駐車場そして誘導してしていただいたメンバーご苦労様です。事業というのは、大変だから感動があり、感動があるからこそ和がうまれ心の改革につながっていくと思います。今年1年,各メンバーが楽な道、大変な道があったらぜひ、大変な道を選んでいいただきたいと思います。
 1月25日(月)本日は、1月第2例会総会であります、たぶん京都会議に付きましても挨拶の中でふれているとは思いますが、ぜひ一度皆様も出席して見てください、必ず為になると思います。
 最後になりますが、1月31日(日)1999年度埼玉ブロック協議会第1回会員会議所会議が,自衛隊入間基地内にて行なわれます、関東地区役員の方々も来訪されます是非とも皆様のご協力なしには成り立ちませんので宜しくお願い申し上げます。
 何から何までお願いばかりではありますが一年間共にがんばりましよう。
 良い年でありますように つづく
卒業生の河村佳樹君へ 1999年1月1日
河村君と初めて言葉をかわしたのは、いつだったのだろうかと思い出しているたしか、
4年前の11月第2例会後の懇親会の時だったと思う。彼が次年度専務理事予定者で、私の委員会配属の希望についてだと思ったその時に感じた印象はこの人は本当に40才前の人なのかと感じた何故ならばそのみょうに落ち着いた態度やずんぐりむっくりとした体型を見るととても想像しがたかった。これが、河村君に対する第一印象だった。それからは、委員会などでは一緒にならずあまり口をきく機会がなかったが。しかし、ある事がきっかけで彼とは色々な事を話すようになり一昨年事務局長として、お付き合いさせていただきました。
しかし河村君は、付き合えば付き合うほど不思議な魅力を持っている人だなと感じました。
見た目は、とても堅そうなイメージがあるが、懇親会の席で酔いが回ってくると割り箸をタクト代わりに振り唄を歌い出したりとてもそのイメージから想像できないような事もしたり、そうかと思えばJCについてまじめな話を始めると時の経つのを忘れて何時間でも話し込んだりするし、メンバーの話をしたりしているとよく彼は頑固だからなというけれども自分のほうが一番頑固なのに気づいていなかったりもするし、でも本当はとても優しく温かい人なのです。
ここで、ひとつ去年あった話をさせていただきます。ちょうど1年前の京都会議で私が参加者のみんなから預かったお金を不注意から落としてしまってみんなと相談しているときにもしそのお金が出てこなかったら僕か弁償をするからと私に言ってくれました。私の不注意で起こしたこのなのだから自分で責任を取ると言ったのですがそれは坂田君に任したのは僕なのだから僕の責任でもある言って心配するなとなぐさめていただきました。翌日警察に行って届を出したら見つかったのですが、もし私が河村君の立場であったら同じことが言えただろうかと今でも思っています。このような素晴らしい先輩が今年で卒業かと思うと寂しい気もするが、でもその気を補って余るくらい私は河村君から色々な物を頂いたような気がします。
卒業生である河村君に対してという事で何か書いてほしいと言われて書いているが色々と在りすぎてまとまりませんでしたがこれで終わりとさせていただきます。