|
私は幻風景 1998年10月1日
|
何の間違いか、大学時代、応援団に入ってしまった。たぶん酒でも飲ましてもらって、まんまと勧誘に嵌ったのだろう。その頃から多分人に頼まれると断れない性格の素地はあったのだと思う。 ただ、どんな状況でも楽しめる性格も、持ち合わせているので、友人達に大変だろうとか、辛くないとか、聞かれてもピンとこなかった。確かに練習とか、先輩の世話とかはまさに血まみれのことは、よくあったし、痛い思いも随分した。でも鼻血流しながら、ヘラヘラしているのは結構得意な方だし、更に相手を怒らせるのは、もっと得意だった。 それとあの学ランを着ていることは、なんでも可能にしてくれた。学食の何百人の前で「ぞうさん」や「ちゅーりっぷ」を振り付けして歌わされたり、渋谷のハチ公の池でシンクロナイズトスイミングをやらして頂いたり、ときには怖い関係の黒ベンツに飛び乗ったり、なかなか楽しいことばかりだった。もっともその後あちらの事務所に連れていてもらい、正座をさせられた時は生きた心地はしなかったが、性格上これからどうなるのかなぁとかヘラヘラしていたら、いきなり先輩の頭が棍棒でカチ割られ血が吹き出たので、それで勘弁して貰った。その傷を見る度、悪いことしたなぁと思うのだった。 もちろん警官や駅員の皆さんにも今思えば、ご迷惑をかけた。でも当時は兎に角先輩の命令が一番だから致し方なかった。そして山手線の最終電車を止めたり出来たのもやはりあの学ランの持つ力だと疑わない。 しかし、そんなことばかりしていたので、活動はほとんど停止状態になってしまたし、下級生も入ってこなくて、一向に下積みのようなままだった。当時はバブルのはしりで学生の就職活動は青田刈り全盛で、ホテルの缶詰とか騒がれたりしていた。そんな時代に渋谷の青学で、応援団なんかやる馬鹿はもうほとんどいなくなってしまった。だから、上級生の旨味もほとんど知らないままとなってしまったことが、残念で堪らない。 勘違いされては困るのだけど、下級生をこき使いたかったというのではない、どちらかと言えば自分は年下とかにはやさしいつもりでいる。ただ単に俺ならもっとすごいイタズラとか、笑える命令が出来たのにと、何度悔しく思ったことか。 これが私の幻風景なのかな。 そんな訳だからというのではないけど、JCではたまに度が過ぎてしまうことが、多々あった気もする。最近は大人しくなったつもりですが、でも時にはこの場面で、こんなことしたら笑えるのにとか、一人で思いついて心のなかでヘラヘラすることがある。気を付けよう。
|
|